石垣山城跡
いしがきやまじようあと
早川集落の西北、箱根外輪山の東端、標高二六一・六メートルの石垣山山上にある豊臣秀吉の小田原攻めの本営として築かれた城の跡。
天正一八年(一五九〇)四月一日箱根山を越えて湯本(現足柄下郡箱根町)の早雲寺に本陣を置いた秀吉は、昼夜兼行で京都聚楽第や大坂城に劣らぬ築城を命じている(同月四日「豊臣秀吉朱印状案」県史三)。秀吉に随軍した千利休は六月二〇日の古田織部宛書状(東京国立博物館蔵)に「一関白様被仰付候御城も漸当月出来にて候、然者還御あるへく候哉、小田原も久事候ましく候ハん、方々内々かけ事ニかきりも無之由申候」と記しており、六月下旬には完成したものと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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