日本歴史地名大系 「石垣間切」の解説 石垣間切いしやなぎいまぎり 沖縄県:八重山諸島石垣市石垣間切近世八重山の行政区画の一で、イシャナギィとよぶ。正保国絵図は「石墻(いしがき)」と記す。両島絵図帳では石垣島南西部の石垣(いしやなぎい)・登野城(とうぬすく)・名蔵(のーら)・崎枝(さきだ)四ヵ村と竹富(たけとみ)島全島の玻座真(はざま)・仲筋(なーじ)・はれはか(波利若)三ヵ村(現竹富町)からなり、高一千三二石余。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳では竹富島は含まれず、高九八〇石余で、うち田方六八三石余・畠方二七九石余・桑役一七石余。崇禎元年(一六二八)の三間切制移行では登野城村と、周辺離島の竹富(てーどうん)村・黒島(ふしいま)村・新城(あらぐすく)村・小浜(くもー)村(現竹富町)および西表(いりおもて)島の花城(はなすく)村・古見(くん)村(現同上)の七ヵ村が石垣間切となり、納米粟六九三石余であった(八重山島年来記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報