石川刀子娘(読み)いしかわのとねのいらつめ

朝日日本歴史人物事典 「石川刀子娘」の解説

石川刀子娘

生年生没年不詳
白鳳時代,文武天皇の嬪。文武1(697)年,紀竈門娘と共に嬪となる。このとき,のちに聖武天皇の母となる藤原宮子も,1ランク上の夫人に任じられている。文武の死から6年後の和銅6(713)年になって,石川・紀2嬪の号を貶しめ,嬪と称することを禁じる命令が出された。その理由は不明であるが,首皇子(聖武天皇)の存在にかかわらず同8年には元正天皇が即位し,また長屋王吉備内親王の子が母系により皇孫とされるなど皇位を巡る何らかの争いがあった可能性が強い。ふたりはそれに巻き込まれたのではないか。なお,石川(高円)広成・広世の母を刀子娘とし,彼女の処分に伴って同皇子らも皇籍を削奪されたとする説がある。

(西野悠紀子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川刀子娘」の解説

石川刀子娘 いしかわの-とすのいらつめ

?-? 飛鳥(あすか)-奈良時代,文武天皇の嬪(ひん)。
石川広成の母。文武天皇元年(697)紀竈門娘(きの-かまどのいらつめ)とともに天皇の嬪となるが,和銅6年ふたりともその称号を禁じられた。首(おびとの)皇子(聖武天皇)の擁立にからむ藤原不比等,県犬養三千代(あがたのいぬかいの-みちよ)の陰謀によるといわれる。

石川刀子娘 いしかわの-とじめ

いしかわの-とすのいらつめ

石川刀子娘 いしかわの-かたなこのいらつめ

いしかわの-とすのいらつめ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例