?~733.1.11
奈良前期の高級女官。東人(あずまひと)の女。はじめ三野(みの)王に嫁して葛城王(橘諸兄(もろえ))・牟漏(むろ)女王(藤原房前(ふささき)の妻)らをもうけるが,のちに藤原不比等(ふひと)の後妻となり,光明皇后らを生む。708年(和銅元)元明天皇の大嘗会のとき,天武朝以来の奉仕を賞されて杯に浮かぶ橘とともに橘宿禰(すくね)姓を賜る。721年(養老5)正三位に叙され,同年元明の危篤を契機に出家。死後に従一位,のち正一位と大夫人の称号を贈られる。
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…古代に勢力をもった氏。県犬養三千代が708年(和銅1)11月,歴代の天皇に仕えた功により橘宿禰の氏姓を賜った(橘三千代)。ついで736年(天平8)11月,美努王との間の子の葛城王と佐為王は臣籍に下って母の氏姓をつぎたい旨を上表して認められ,橘宿禰諸兄および同佐為(さい)と名のるようになった。…
…天武,持統,文武,元明,元正の5朝に任えた女官。もと県犬養(あがたいぬかい)三千代と称する。県犬養東人(あずまひと)の娘。…
…この成功の陰には,娘の宮子が文武天皇夫人となっていたという事情があるが,後宮に娘を送りこんで天皇を動かすという手段は,不比等自身が701年(大宝1)の律令制定に参加し,718年(養老2)には律令改定に着手するなど,新しい政治に積極的に取りくむ姿勢を維持したこととともに,その後の藤原氏が絶えず政権の主流を占める際の常套的な手法となった。
[奈良時代]
文武天皇が宮子の生んだ首(おびと)皇子(後の聖武天皇)を残して早世すると,不比等は後妻の県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)の生んだ光明子を首の夫人として皇室との姻戚関係を維持しながら,武智麻呂(むちまろ),房前(ふささき),宇合(うまかい),麻呂(まろ)の4子を次々と朝廷に送りこみ,717年に右大臣で朝廷の首班となると房前を参議に加え,大臣以下参議以上の公卿には有力諸氏から1人ずつという慣例を破り,720年に不比等が没した後は,武智麻呂が中納言となって公卿に加わった。だが首班は左大臣長屋(ながや)王となり,王は即位した聖武天皇の皇后に光明子が夫人から昇格することに反対したので,729年(天平1)武智麻呂ら4兄弟は長屋王を反乱の罪名で自殺させ(長屋王の変),光明子を臣下の出身としては最初の皇后とした。…
※「県犬養三千代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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