精選版 日本国語大辞典 「文武天皇」の意味・読み・例文・類語
もんむ‐てんのう ‥テンワウ【文武天皇】
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第42代天皇(在位697~707)。名は珂瑠(かる)。天武(てんむ)天皇の孫。草壁(くさかべ)皇子の第2子。母は天智(てんじ)天皇の娘阿閇(あへ)皇女(のち元明(げんめい)天皇)。697年2月立太子、同年8月即位、藤原不比等(ふひと)の娘宮子(みやこ)を夫人とする。ときに15歳。治世10年間のうちの前半は、祖母にあたる持統太上(じとうたいじょう)天皇が後見して政務一般を総覧したが、この時期には刑部(おさかべ)親王、藤原不比等らによって律令編纂(りつりょうへんさん)の大事業がなされた。やがて令十一巻、律六巻が完成して、701年(大宝1)には年号を大宝(たいほう)と建元し、令・律は同年から翌年にかけて施行された。これがすなわち大宝律令であり、ここに名実ともに律令国家体制は確立したのである。しかし治世の後半には災害や飢疫の流行などによる世情不安から、いわゆる慶雲(けいうん)の諸改革を断行して、早くも律令制を軌道修正した。また平城京遷都を望んだが果たせず、25歳の若さで世を去った。御陵は奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村の檜隈(ひのくま)安古(あこ)山陵。
[押部佳周]
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683~707.6.15
在位697.8.1~707.6.15
軽(かる)(珂瑠)皇子・天之真宗豊祖父(あまのまむねのとよおおじ)天皇と称する。草壁皇子の子。母は天智天皇の皇女阿閇(あへ)皇女(元明天皇)。697年(文武元)15歳で皇太子となり,同年藤原宮で即位。701年(大宝元)大宝律令の制定により律令政治の基礎を固めた。707年(慶雲4)重病となり,母に譲位の意思を示して死去した。藤原不比等(ふひと)の女宮子を夫人とし,首(おびと)皇子(聖武天皇)をもうけた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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