石州府村(読み)せきしよふむら

日本歴史地名大系 「石州府村」の解説

石州府村
せきしよふむら

[現在地名]米子市石州府せきしゆうふ

下河原しもがわら村の南にある。地元では「セキショ」「セキショウ」と通称される。建武四年(一三三七)一〇月一九日の足利尊氏下文写(出雲朝山系図勘記)にみえる「伯耆国関庄」は当地一帯に成立していた庄園か。立庄の時期、領主などは不明。同下文写によれば、勲功の賞としてせき庄地頭職が足利尊氏から朝山景連へと宛行われている。以後朝山氏に相伝されたらしいが、文安六年(一四四九)二月九日の僧禅朝(朝山昌景)譲状写(同書)では、関庄は不知行ではあるが御判の地であるので子息朝山信綱に譲ると述べられており、これ以前、昌景の代には朝山氏の支配が及ばなくなっていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android