石手洗村(読み)いしてあらいむら

日本歴史地名大系 「石手洗村」の解説

石手洗村
いしてあらいむら

[現在地名]八戸市石手洗

八戸城下の南、新井田にいだ川左岸の台地に位置する。東は十日市とおかいち村、西と南は是川これかわ村、北は田向たむかい村・中居林なかいばやし村に接する。元和四年(一六一八)知行目録に「五拾六石五斗九升 石たらい」とあり、藩政当初は盛岡藩に属し、根城南部氏に給されていた。雑書の寛文元年(一六六一)四月四日条に「石手洗村大炊助、惣右衛門、兵部、右京進、左藤二郎、左衛門二郎ト六人」とみえ、六人が渇命となり、米一駄宛の借用を願出て、許可されている。同四年八戸藩の創設とともに同藩領に編入。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳に是川村のうちとして石手洗とみえ、高七〇・〇一八石、うち畑五九・七六一石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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