八戸廻(読み)はちのへまわり

日本歴史地名大系 「八戸廻」の解説

八戸廻
はちのへまわり

八戸藩の地方行政組織五通の一つ。西は長苗代ながなわしろ通・名久井なくい通、南は久慈くじ通・軽米かるまい(現岩手県北東部)に接する。現在の八戸市の東半分、三戸さんのへ階上はしかみ町の全域、同南郷なんごう村の東半分、岩手県九戸くのへ種市たねいち町の北部の地域にあたる。

設置年代は不詳であるが、「八戸藩史料」は寛文一一年(一六七一)「八戸廻浜通代官管下七千五百石」が定められたとする。当初ははま通と称されることもあったが、のち八戸廻と統一された。八戸藩日記の元禄八年(一六九五)一月一五日条によれば八戸廻代官と浜通代官の二つの職制があったが、同一人の兼務とされている。雑書の承応元年(一六五二)一〇月四日条に「八戸山根通」「八戸中通」などの通称がみえ、かつ寛文元年八月九日条に「八戸山根通御代官」、同三年一一月七日条に「八戸浜御代官」などの代官名がみえ、盛岡藩時代に原型的な行政区域が定められたものと考えられる。代官所はなく、八戸城中で執務した模様である。代官の定員は二名。

八戸藩日記の延宝五年(一六七七)一一月四日・一八日条に田代たしろ(現階上町)および山根やまね通に打直検地の役人が派遣されていることがみえ、同年一〇月一五日条には「名久井通御城廻り新田御検地相済」とあって八戸城下付近の村々の新田検地が終了している。貞享元年(一六八四)の陸奥国南部領郷村高辻帳(八戸市立図書館蔵)でみると管内の村は八戸・小中野こなかの類家るいけ中居林なかいばやし是川これかわ松館まつだてみよう十日市とおかいち新井田にいだ浜通はまどおり白金浜しろがねはま島守しまもり(現南郷村)田代晴山沢はれやまざわ平内ひらない鳥屋部とやべ角柄折つのがらおり道仏どうぶつ(現階上町)三戸郡中一八ヵ村と種市(現種市町)の九戸郡中一ヵ村で、高は三〇九八・〇六一石である。元禄一〇年の郷村御内所高帳でも村数は変わらないが、八戸通はちのへどおり村のうちとして柏崎かしわざき糠塚ぬかづか沼館ぬまだて沢里さわさとの四ヵ村、新井田通にいだどおり村のうちとして新井田・田向たむかい岩淵いわぶちの三ヵ村、浜通村のうちとして浜通・金浜かねはまの二ヵ村、松館通まつだてどおり村のうちとして松館と金山沢かなやまざわ(現階上町)の二ヵ村、是川村のうちとして上是川かみこれかわ・下是川・石手洗いしてあらいおよび頃巻沢ころまきざわ(現南郷村)の四ヵ村、鳥屋部通とやべどおり村のうちとして鳥屋部・赤保内あかぼない野沢のさわ(現階上町)の三ヵ村がみえる。高は八〇六一・六一九石、うち田三〇九七・四三三石。天保五年(一八三四)の郷村高辻帳(岩手県史)では高七四一六・七八五石、うち田二六七九・三〇六石。いずれも約六〇パーセントが畑で、畑作地帯となっている。

区域内の通称名として沢内さわうち通・御城下おしろした通・浜通・山根通(浜山根通)是川島守これかわしまもり通などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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