石花城跡
いしげじようあと
[現在地名]相川町石花
石花の北端の段丘突端部、通称城ヶ平にある。複郭の砦を備えた土塁の一部が残り、一〇〇メートル後方の一段高い段丘上に館跡がある。石花将監の居城という。寛永七年(一六三〇)に、吉井(現金井町)の曹洞宗剛安寺七世が記した「佐州吉井城主藍原大和守興亡記」(剛安寺蔵)によると、将監は北片辺にも居館があり、小川から願(現両津市)に至る二四ヵ村の地頭としている。吉井殿とよばれた藍原大和守配下の村殿として海府を支配し、塩や炭、魚類を藍原氏に貢いでいたとみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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