日本歴史地名大系 「石負庄」の解説 石負庄いそうのしよう 兵庫県:氷上郡氷上町石負村石負庄古代氷上郡石生(いそう)郷(和名抄)の郷名を継承し、現石生(いそ)に比定される庄園。貞応三年(一二二四)以後と推定される宣陽門院所領目録(島田文書)の「新御領 自上西門院被進之」の項に「丹波国石負庄」とみえる。上西門院領として成立し、後白河上皇を経て宣陽門院領となったものと思われる。ちなみに上西門院は鳥羽上皇の皇女で、宣陽門院は後白河上皇の皇女である。承久の乱で幕府に没収されたが、鷹司院を経て後深草天皇に伝えられ、以後持明院統に伝領された。これより先の文治元年(一一八五)摂津国今南(いまみなみ)庄(現神戸市灘区・東灘区)と当庄に兵粮米が賦課されたが、後白河上皇の要求によって翌年停止された(「吾妻鏡」文治二年三月二日・四月一三日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by