砂木村(読み)すなぎむら

日本歴史地名大系 「砂木村」の解説

砂木村
すなぎむら

[現在地名]美山町大字高野(たかの) 砂木

鶴(つる)ヶ岡(おか)一九ヵ村の一。由良川の支流棚野(たなの)川に、砂木谷(すなぎだに)川が合流する地点に位置し、若狭(高浜)街道に沿った山間集落。棚野川をさかのぼると右岸に棚(たな)村、南は栃原(とちわら)村。古代は「和名抄」に記す弓削(ゆげ)郷に属する地。鎌倉時代末期には弓削庄の一部であったが、のち野々村(ののむら)庄に包含されたともいわれる。室町中期には一時管領細川氏領となったというが(大正一二年「京都府北桑田郡誌」)、確証はない。

慶長七年(一六〇二)幕府領、元和五年(一六一九)より園部藩領となる。元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳によると、高九三・三五五石、旧高旧領取調帳では二〇三・七四三石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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