碁石村(読み)ごいしむら

日本歴史地名大系 「碁石村」の解説

碁石村
ごいしむら

[現在地名]玉野市八浜町見石はちはまちようみいし

宇多見うたみ村の北に位置し、東に怒塚いかつか山がそびえる。「東備郡村志」によると、古くは中浦なかのうら村とよび、港があった。慶長九年(一六〇四)検地帳(碁石区有文書)によれば高一一〇石余、田は下田で二反余、畑屋敷合せて九町余、屋敷持の名請百姓長寿ちようじゆ寺という寺を含めて一八。享保六年(一七二一)の家数二三・人数一一七、二反帆以下の小猟船一〇(備陽記)


碁石村
ごいしむら

[現在地名]山北町碁石

西は日本海に面し、北に大久保おおくぼ(一六二・五メートル)がある。南は勝木がつぎ村に接する。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図に「大川分ごいし村 中」とみえ、「本納合四拾(壱)石六斗六升 縄高合石六斗四升一合七勺 □弐間」「ねやヨリ一里」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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