デジタル大辞泉
「磯城瑞籬宮」の意味・読み・例文・類語
しきのみずがき‐の‐みや〔しきのみづがき‐〕【磯城瑞籬宮】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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しきのみずがき‐の‐みやしきのみづがき‥【磯城瑞籬宮】
- 崇神天皇三年から同六八年までの皇居。所在地は現在の奈良県桜井市金屋付近と推定されている。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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磯城瑞籬宮
しきのみずがきのみや
「日本書紀」崇神天皇三年九月条に、「都を磯城に遷す。是を瑞籬宮と謂ふ」とみえ、崇神天皇の宮号。「古事記」には「師木水垣宮」とある。
宮跡について「大和志」は、瑞籬宮を「在三輪村東南志紀御懸神社西」という。「大和志料」では、平等寺旧蔵の三輪山古図に、初瀬川と三輪川(平等寺川)との中間、すなわち志貴宮の西南にあたる所に天山祠があり、地元ではこれを天山宮とよび、その地を天山というところから、天山は天皇山の転訛とし、かつて宮跡であったことから崇神天皇を祀っているのではないかと推定している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の磯城瑞籬宮の言及
【磯城】より
…磯城県は4~5世紀ころの成立とみられるが,その地域が中心となって奈良時代の城上(しきのかみ)郡,城下(しきのしも)郡ができる。崇神天皇の磯城瑞籬宮(みずがきのみや),垂仁天皇の纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや),景行天皇の纏向日代宮(ひしろのみや),欽明天皇の磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)などが営まれたことが《日本書紀》にみえ,この地域は[磐余](いわれ)地域とともに狭義のヤマトの主要部分を占め,古代の政治・文化の中心であった。埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘にみえる〈獲加多支
(わかたける)大王〉(雄略天皇)の〈斯鬼宮(しきのみや)〉は大和のシキ地域の宮であるとする説が有力で,雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)が存在したとみられる地域も含めてシキを考えることもできる。…
※「磯城瑞籬宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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