第10代に数えられる天皇。和名を御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命という。この天皇が記紀の伝承の中で特に目だつ点は,大物主(おおものぬし)神をはじめとしてもろもろの国津神(くにつかみ)を祭り,また伊勢神宮の創始に関係したとされることである。《日本書紀》によると,それまで天皇と共殿共床の関係にあった天照大神(あまてらすおおかみ)を豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託して宮廷の外に移し,いわゆる神人分離の基をつくった。トヨスキイリヒメは《古事記》に〈伊勢大神を拝(いつ)き祭る〉と記され,初代の斎宮(さいぐう)であるという。このことは,天照大神の霊威が狭い宮廷の枠を超えて国家的な普遍性をもったことを意味し,王権の原始的形態に特徴的にみられる祭政の癒着が廃されて,天皇の政治力に宗教からの相対的な独立性と展開力とをもたらしたのである。それは政治と宗教の新しい結合でもあった。また疫病が流行し人民が死滅しようとしたとき,大田田根子(おおたたねこ)に大物主神を祭らせて危機を切り抜け,さらに大国魂(おおくにたま)神をはじめとして諸々の国津神を祭ったという。これらのことは,《出雲国造神賀詞(いづものくにのみやつこのかむよごと)》が述べるように,土豪の斎(いつ)く神々が大国主神の分身として〈皇孫命(すめみまのみこと)の近き守り神〉へと転化したことを物語る。伊勢神宮と斎宮制の成立は,同時に多くの国津神が大国主神へと統合されて天皇の守護神へと再編成されてゆく過程でもあった。神宮の創始と国津神の統合,それによる王権の確立という時期は実年代ではかなり下るものと思われる。しかし,王権と,神宮を頂点とする神々の秩序とは国の始まりとともになくてはならないとする意識が天皇家の始祖の観念と結合したとき,もろもろの制度や文物をつくり出した王として崇神天皇が語り伝えられたのであった。かくして崇神は,伊勢神宮の創始にかかわった王として〈天神地祇(あまつかみくにつかみ)〉の神社を定め,それらの神々によって守護された〈御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)〉と称された。
→伊勢神宮
執筆者:武藤 武美
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記紀の皇室系譜では第10代の天皇。開化(かいか)天皇の皇子で、母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)(伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと))。垂仁(すいにん)天皇の父。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)(御真木入彦印恵(みまきいりひこいにえ))天皇、御間城天皇、水間城王などともよぶ。『古事記』『日本書紀』がともにハツクニシラシシ(御肇国、所知初国)天皇と称していることが注目される。記紀の所伝では、この天皇は磯城(しき)の水垣(みずがき)(瑞籬、奈良県桜井市金屋付近)に宮居したと伝える。疫病が流行したので三輪山(みわやま)の神を祭祀(さいし)し、また四道(記は三道)将軍を派遣したこと、あるいは武埴安彦(たけはにやすひこ)(建波邇安王(たけはにやすひこ))の反乱を鎮定したり、男女の調(みつぎ)(貢物)を定めたりしたことなどが記紀にみえている。紀には、天照大神(あまてらすおおみかみ)と倭大国魂(やまとおおくにたま)神の2神を殿内に祀(まつ)るのをやめ、天照大神は笠縫邑(かさぬいのむら)に移したという伝えもある。
この天皇の代を確実な大王家の初めとする説や、あるいは、崇神天皇に始まる三輪山を中心にした政治勢力を三輪王朝とよんで、河内(かわち)を基盤にした応神(おうじん)天皇に始まる王朝(河内王朝)と区別する説もある。北方大陸系の騎馬民族が征服王朝を樹立したとみなす騎馬民族征服王朝説では、騎馬民族の後裔(こうえい)である崇神天皇は、まず北九州に入って第一次の「建国」をなしたと解釈している。このように崇神天皇の代はさまざまに評価されているが、三輪山を中心とする政治勢力が、注目すべき画期をつくったことは見逃せない。陵墓は山辺の道(やまのべのみち)の上にあると伝え、奈良県天理市アンドの巨大な前方後円墳(山辺道勾岡上(やまのべのみちのまがりのおかのうえ)陵)だという。
[上田正昭]
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(佐佐木隆)
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記紀系譜上の第10代天皇。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇と称する。開化天皇の第二子。母は物部氏の遠祖大綜麻杵(おおへそき)の女伊香色謎(いかがしこめ)命。御間城姫を皇后とし,垂仁天皇らをもうけたという。磯城瑞籬(しきのみずがき)宮(現,奈良県桜井市金屋付近)にあり,宮中に祭っていた天照大神(あまてらすおおみかみ)と倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)との祭所をわかち,新たに大物主神(おおものぬしのかみ)を三輪に祭るなど祭祀の整備を行ったとされる。また四道将軍を派遣し,朝鮮(任那(みまな))からのはじめての朝貢もこの天皇のときのこととされるなど,大和政権の支配の基礎を固めた天皇として系譜上に位置づけられる。御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)とよぶことなどから,実在の確実な初代天皇とする意見がある。また三輪地域との伝承上の関係や同地域における巨大古墳の存在から三輪王朝の始祖とする説や,北方騎馬民族の王とする説などもあるが,実在を疑う説もある。山辺道勾岡上(やまのべのみちのまがりのおかのへ)陵に葬られたとされ,奈良県天理市柳本町の行灯山(あんどんやま)古墳がそれに指定されている。
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…これが後の神武天皇であり,ここをもって〈神代〉の物語は終了する。 中巻は宮廷が大和の地に存して天下を治めることになったいわれを語る神武天皇の物語で始まり,8代の天皇の系譜に続いて崇神(すじん)天皇の物語となる。そこでは〈天神地祇(あまつかみくにつかみ)の社〉を定めて伊勢神宮と大物主神などの国津神を祭り,また賦役貢納の制を定めたことなどが記されている。…
※「崇神天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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