磯禅師(読み)イソノゼンジ

朝日日本歴史人物事典 「磯禅師」の解説

磯禅師

生年:生没年不詳
平安末期の舞女。源義経の妻静の母。静が召し捕らえられ鎌倉へ送られたとき同道していたことが,「母磯禅師之を伴ふ」と『吾妻鏡』(文治2年3月1日)に記されている。また『徒然草』は,藤原通憲が「いその禅師」に水干,烏帽子のいでたちで舞わせたのが白拍子起源(225段)というが,鳥羽院時代の「島千歳」「和歌前」を当てる『平家物語』の説などもあり,時代的にはこちらが適切かと思われる。鎌倉初期の『貴嶺問答』に旅のつれづれを慰めるため「磯禅師が第の舞女」を申請したとかかれているから,多くの舞女を抱える女主人だったともいえよう。<参考文献>五味文彦「信西芸能」(『国文学/解釈教材研究』1991年12月号)

(小川寿子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「磯禅師」の解説

磯禅師 いそのぜんじ

?-? 平安後期-鎌倉時代の女性。
讃岐(さぬき)(香川県)の人。「徒然草」によると藤原通憲(みちのり)に男舞をならい,娘の静御前(しずかごぜん)につたえたという。これが男装して男舞をまう白拍子(しらびょうし)の起源といわれる。文治(ぶんじ)2年(1186)吉野から鎌倉に護送される静と同道した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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