社村(読み)やしろむら

日本歴史地名大系 「社村」の解説

社村
やしろむら

[現在地名]湯原町社

東隣の富西谷とみにしだに(現苫田郡富村)境にそびえるあられせん(一〇七四・二メートル)の麓から西流する社川流域の奥まった小盆地に宇和佐うわさ本谷ほんだに牧原まきばらなどの集落がある。下湯原しもゆばら村の南東にあたり、西は久見ひさみ村、南は釘貫小川くぎぬきこがわ村と接する。「作陽誌」は、「延喜式」神名帳に記載される八つの社が当地にあり、村名はこれにちなむと記す。永禄五年(一五六二)には社村のうち末吉名が美甘義清に与えられている(同年一一月五日「三浦貞尚感状」美甘文書)


社村
やしろむら

[現在地名]社町社ひろのがおか

加古川のつくる河岸段丘中位に位置し、東は山国やまくに村など、西は鳥居とりい村、北は家原ええばら村、南は松尾まつお村など。佐保社さほやしろ村ともいう(末寺帳など)佐保神社門前として栄え、北播磨の行政・経済の中心をなす町場でもあった。慶長国絵図に「惣之社」とみえる。元和三年(一六一七)幕府領、寛永一七年(一六四〇)和泉岸和田藩領、正保元年(一六四四)幕府領、享保七年(一七二二)幕府領姫路藩預地、寛保二年(一七四二)幕府領、宝暦一三年(一七六三)三卿の清水領、安永九年(一七八〇)幕府領、文政七年(一八二四)清水領、安政元年(一八五四)幕府領となり幕末に至る(同三年「村明細帳」穂積家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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