すべて 

祁しゅん藻(読み)きしゅんそう(その他表記)Qi Jun-zao; Ch`i Chün-tsao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「祁しゅん藻」の意味・わかりやすい解説

祁しゅん藻
きしゅんそう
Qi Jun-zao; Ch`i Chün-tsao

[生]乾隆57(1793)
[没]同治5(1866)
中国,清朝官僚,学者。字は叔穎,淳甫,実甫。号は春圃,観斎。諡は文端。山西省寿陽の人。嘉慶 19 (1814) 年に進士となったが,翌年父が死んだので服喪し,道元1 (21) 年以後翰林院に仕え,その後,侍講学士,通政司副使,内閣学士兼礼部侍郎銜,兵・戸・吏部などの侍郎を経て兵部尚書,戸部尚書を歴任した。アヘン戦争のときに軍機大臣として主戦論を主張し,咸豊帝即位すると太子太保の位を授けられて重用されたが,太平天国平定の政策論争で反対派に敗れ辞職した。しかし同治帝の即位とともに礼部尚書となり,以後は帝の師傅役となったがやがて病気で辞職し,74歳で没した。一方学者としても,詩人としてもすぐれ,『ぼんきゅう亭集』 (44巻) などの著作がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

すべて 

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む