神代鍋島氏陣屋跡(読み)こうじろなべしましじんやあと

日本歴史地名大系 「神代鍋島氏陣屋跡」の解説

神代鍋島氏陣屋跡
こうじろなべしましじんやあと

[現在地名]国見町神代 小路

江戸時代、肥前佐賀藩神代鍋島氏が置いた陣屋の跡。神代城(鶴亀城)跡の二の丸の東斜面に建立され、神代陣屋ともいう。この一帯は中世以来の神代氏が滅亡したあと有馬氏の支配下にあったとされる。天正一五年(一五八七)豊臣秀吉による知行割により鍋島直茂に約三千石が与えられたが、佐賀藩飛地領としての鍋島氏の神代領が成立するのは、慶長一三年(一六〇八)に直茂の兄信房が神代領に移封されたことによる。その子孫が代々同領を支配して幕末に至る。その領知は高来たかく郡神代郷四ヵ村、つまり東神代村・西神代村、伊古いこ村・古部こべ(現瑞穂町)(ただしこれは佐賀領内の村切で、幕府に提出する郷帳類では一一ヵ村の扱い)、寛永五年(一六二八)の惣着到状(家臣団分限帳)では高四千四一〇石であるが、神代鍋島氏四代嵩就(同家中興の祖とされる)のとき肥前神埼かんざき郡四ヵ村が加増されて、都合六千二六二石余(物成高二千五〇五石余)となっている(嘉永四年「分限差別」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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