神子畑鉱山跡(読み)みこばたこうざんあと

日本歴史地名大系 「神子畑鉱山跡」の解説

神子畑鉱山跡
みこばたこうざんあと

[現在地名]朝来町佐嚢

佐嚢さのう谷の最奥、神子畑川の最上流部にあった鉱山で、おもに銀を採掘した。大同年間(八〇六―八一〇)に開かれたと伝えるが、「朝来志」に引く但馬国金銀銅記は銀山は延徳三年(一四九一)から四〇年間が盛期であったとする。またこの頃には間歩九三ヵ所を数え、鉱夫をはじめとする多くの人々が集まり、神子畑村には寺社も多く建てられたという。一方「但播州諸山其外旧記」は生野奉行間宮新左衛門支配の時代の元和元年(一六一五)に「こふとち間歩」で鉱脈が発見されて盛期を迎えたとする。鉱山の経営は、盛期であった始めの一〇年間は生野いくの銀山(現生野町)と同様に売山法で行われたが、のち衰退すると請座制に転じたとする。これ以外に江戸時代のことは分らない。しかし神子畑愛宕神社に残る七枚の護摩札(元和五年―宝暦七年)から推測すると一八世紀半ばをすぎても採掘が続いていたのか、銀山の繁栄を願う「銀山富貴」の文字が読取れる。

明治維新後、新政府は生野鉱山を官営としてフランス人コワニエ、ムーセなど二四名の外国人技師団を迎えて開発に当たった。こうしたなか明治一一年(一八七八)神子畑の官林の字間歩谷まぶだにで最良銀鉱(加盛山)が発見され、同一二年鉱脈の開削着手、明治一四年に工部省鉱山局生野分局内にあった贅舎四棟を当地に移築して事務舎とした(生野史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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