連合国軍総司令部(GHQ) 第2次大戦後、米英など連合国軍が占領下の日本で非軍事化、民主化政策を実施するため設置した。初代最高司令官のマッカーサー米元帥は新憲法制定、財閥解体、農地解放、教育改革などを断行。しかし朝鮮戦争を巡り当時のトルーマン大統領と対立し、1951年4月に更迭された。52年4月のサンフランシスコ講和条約発効で日本の主権が回復するまでGHQによる占領政策は続いた。
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General Headquartersの略で,総司令部の意味。第2次大戦後の日本で連合国最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers,略称SCAP(スキヤツプ))の総司令部をさして用いられた。1945年8月14日,日本がポツダム宣言を受諾して降伏を申し入れたのに対し,降伏の受理ならびにその実施のため,アメリカのマッカーサー元帥が連合国最高司令官に任命された。マッカーサーは進駐直後は横浜,45年10月からは東京日比谷の第一相互ビル(現,第一生命ビル)にGHQを置いた。GHQは日本の占領管理の最高機関で,日本管理の政策決定機関として45年12月モスクワ協定で決定されワシントンに置かれた極東委員会の指令を受け,また最高司令官の諮問機関として東京に置かれた対日理事会の勧告を受け,日本の占領実施にあたった。しかし最高司令官は同時にアメリカの極東軍司令官でもあり,アメリカ政府の命令によって具体的な占領政策を実施した。GHQの機構は,本来の軍事機構である参謀部と,占領のための専門部局の双方からなっていた。参謀部は第1部(G1,人事),第2部(G2,情報・治安),第3部(G3,作戦),第4部(G4,設営・補給)の各部からなり,専門部局は民政局(GS),経済科学局(ESS),天然資源局(NRS),民間運輸局(CTS),民間情報教育局(CIES),民間情報部(CIS)など多くの部門からなっていた。
占領政策の実施は,GHQが日本政府に指令し(GHQ覚書)日本政府が実施するという間接統治の形態をとったが,最高司令官の命令は日本のすべての法令に優先するとされ,即時施行が要求された。日本政府は1945年9月20日緊急勅令で〈ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件〉を公布し,占領行政に関して法律に代わる勅令(いわゆるポツダム勅令)を出してGHQの指令を実施した。新憲法が施行された後は,ポツダム勅令に代わって政令(いわゆるポツダム政令)を出すことで占領政策に協力した。また政府はGHQの命令や指示を受ける連絡調整機関として終戦連絡中央事務局を設けたが,GHQの各部局は,直接関係の各省庁に対して強力な指導を行い,さらに新聞,放送をはじめとする民間の機関や団体に対しても指揮命令を行った。このためGSとG2が対立するなどの占領政策の混乱もみられた。52年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効と同時にGHQは廃止された。
→対日占領政策
執筆者:藤原 彰
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…第2次大戦後,南朝の正統な皇統の継承者と名乗り出た熊沢寛道(1889‐1966)の通称。1946年(昭和21)1月18日,GHQは名古屋市千種区で雑貨商を営む熊沢寛道が後亀山天皇第19代正統者と名乗り出たことを発表した。熊沢は1945年末,GHQ翻訳部を訪問して系図等を提示しながら南北朝時代以来の歴史を語り,自分こそ天皇家の正統者であると主張し,現天皇を追放して自分を即位させるよう要請した。…
…当時活躍した時代劇スターとしては,前出のほか,光岡竜三郎,羅門光三郎,大河内竜,阿部九州男,沢村国太郎,海江田譲二,杉山昌三九,坂東好太郎,女優では伏見直江,原駒子,鈴木澄子などがいる。
【戦中から戦後へ】
[映画法とGHQ]
第2次世界大戦が始まって,映画法(1939公布)のもとに映画統制が激化する中,山本嘉次郎監督《エノケンのちゃっきり金太》,斎藤寅二郎監督《エノケンの法界坊》,稲垣浩監督,片岡千恵蔵主演《宮本武蔵》三部作,マキノ正博監督,長谷川一夫主演《昨日消えた男》などがつくられたが,時代劇ではなく,すでに熊谷久虎監督《阿部一族》(1938)で試みられたような歴史劇を,との気運が高まり,稲垣浩監督《江戸最後の日》(1941)や溝口健二監督《元禄忠臣蔵》(1941‐42)などが生まれて,時代劇は息をひそめていった。第2次大戦後,映画法は廃止されたが,GHQ(連合国総司令部)による規制と検閲が時代劇のうえにのしかかった。…
…また46年2月から,連合国の対日占領の最高機関として11ヵ国(1949年以降は13ヵ国)からなる極東委員会がワシントンに設けられ,さらに東京に最高司令官の諮問機関として米英中ソの4ヵ国からなる対日理事会が設けられたが,いずれもその権限は形式的で,実質的にはアメリカの単独占領であり,アメリカの対日占領政策が占領政策を左右した。日本占領にあたった連合国軍最高司令部GHQ=SCAP(General Headquarters,Supreme Commander for the Allied Powers)は,同時にアメリカ軍の極東軍総司令部であり,極東委員会の指令よりもアメリカ政府の指令にもとづいて占領政策を行ったからである。
[民主化政策]
占領下の日本は,占領政策の動向によって前後の2期に分けられる。…
…以後改造社への軍部の圧力が強まり,編集部員が入れかえられ社会批判の姿勢をくずすが,44年6月同社は解散,6月号かぎり《改造》も休刊した。戦後,46年1月からGHQの要請もあって再刊されるが内容も貧弱になり,55年1月編集局員全員解雇から争議が発生し,翌月廃刊した。【梅田 俊英】。…
…第2次大戦後,南朝の正統な皇統の継承者と名乗り出た熊沢寛道(1889‐1966)の通称。1946年(昭和21)1月18日,GHQは名古屋市千種区で雑貨商を営む熊沢寛道が後亀山天皇第19代正統者と名乗り出たことを発表した。熊沢は1945年末,GHQ翻訳部を訪問して系図等を提示しながら南北朝時代以来の歴史を語り,自分こそ天皇家の正統者であると主張し,現天皇を追放して自分を即位させるよう要請した。…
…当時活躍した時代劇スターとしては,前出のほか,光岡竜三郎,羅門光三郎,大河内竜,阿部九州男,沢村国太郎,海江田譲二,杉山昌三九,坂東好太郎,女優では伏見直江,原駒子,鈴木澄子などがいる。
【戦中から戦後へ】
[映画法とGHQ]
第2次世界大戦が始まって,映画法(1939公布)のもとに映画統制が激化する中,山本嘉次郎監督《エノケンのちゃっきり金太》,斎藤寅二郎監督《エノケンの法界坊》,稲垣浩監督,片岡千恵蔵主演《宮本武蔵》三部作,マキノ正博監督,長谷川一夫主演《昨日消えた男》などがつくられたが,時代劇ではなく,すでに熊谷久虎監督《阿部一族》(1938)で試みられたような歴史劇を,との気運が高まり,稲垣浩監督《江戸最後の日》(1941)や溝口健二監督《元禄忠臣蔵》(1941‐42)などが生まれて,時代劇は息をひそめていった。第2次大戦後,映画法は廃止されたが,GHQ(連合国総司令部)による規制と検閲が時代劇のうえにのしかかった。…
…また46年2月から,連合国の対日占領の最高機関として11ヵ国(1949年以降は13ヵ国)からなる極東委員会がワシントンに設けられ,さらに東京に最高司令官の諮問機関として米英中ソの4ヵ国からなる対日理事会が設けられたが,いずれもその権限は形式的で,実質的にはアメリカの単独占領であり,アメリカの対日占領政策が占領政策を左右した。日本占領にあたった連合国軍最高司令部GHQ=SCAP(General Headquarters,Supreme Commander for the Allied Powers)は,同時にアメリカ軍の極東軍総司令部であり,極東委員会の指令よりもアメリカ政府の指令にもとづいて占領政策を行ったからである。
[民主化政策]
占領下の日本は,占領政策の動向によって前後の2期に分けられる。…
…公正取引委員会などと同じく内閣総理大臣の所轄のもとに独立して職権を行使するいわゆる行政委員会であった。放送を含む電波行政の公正と政治的な中立を確保するための制度的方策として連合国最高司令官総司令部GHQの示唆で設置されたものである。設置法案の作成過程で当時の吉田内閣は委員会の政府からの独立性が強過ぎるとして修正を主張したが,結局マッカーサーの個人的書簡による要請の形をとって総司令部の意向を受け入れることで決着がついた。…
… 1930年代には年間ほぼ500本つくられた劇映画は,40年の497本を最後に,41年232本,42年87本と激減し,45年にはわずか26本となった。
【占領時代の日本映画】
[リンゴの唄とGHQ]
15年戦争が日本の敗北で終わった1945年8月15日以後,最初に公開された日本映画は,8月30日封切の松竹作品《伊豆の娘たち》(五所平之助監督)と大映作品《花婿太閤記》(丸根賛太郎監督)であるが,2作品とも戦時中に企画されたもので,真の戦後映画第1号は10月11日封切の松竹作品《そよかぜ》(佐々木康監督)であった。主題歌《リンゴの唄》が一世をふうびした《そよかぜ》は,GHQ検閲第1号の映画でもある。…
…40年代に入ると,不敬罪は戦争への民衆の不満とそれに端を発する天皇へのうらみといった非戦・厭戦的言動の取締りに用いられ,戦時統制の一翼を担った。
[廃止の経緯]
敗戦とともに日本を占領したGHQは,45年10月4日付の指令〈政治的市民的宗教的自由の制限除去に関する覚書〉等により,治安維持法その他,自由を規制している広範な立法の廃止を命じたが,不敬罪はそれが基本法たる刑法中にあったためか廃止のリストからもれていた。取締りのための武器のほとんどを奪われていた政府当局は,これを利用して,当時の大衆運動の高揚,とくに天皇制批判の言論の盛上りを不敬罪によって取り締まろうと試みた。…
…1945年9月19日GHQ(占領軍総司令部)から発せられた覚書で,正式名称は〈日本に与うる新聞遵則〉。10項目から成り,内容は,一方でニュースは真実でなければならぬ,事実に即し意見は払拭しなければならぬ,宣伝の意図を含んではならぬ,歪曲してはならぬ,としながら,他方では公共の安寧を乱す事項の禁止,連合国に対する破壊的批判の禁止,発表されない連合国軍の動静の報道の禁止などの項目を含む。…
※「GHQ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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