日本歴史地名大系 「神宅村」の解説 神宅村かんやけむら 徳島県:板野郡上板町神宅村[現在地名]上板町神宅西分(にしぶん)村の北西にあり、北は阿讃(あさん)山脈を越えて讃岐川股(かわまた)村(現香川県引田町)、西は泉谷(いずみだに)村。南へ流下する大山谷(おおやまだに)川と泉谷川の扇状地が南に開ける。南部山裾を撫養(むや)街道が北東から南西に通り、同道から分岐して北上し、大山(おおやま)越を経て讃岐国へ出る道筋もあった。村名は崇神天皇の代に置かれていたとされる神宅に由来するとされる(大山村史)。観応三年(一三五二)五月二〇日の飯尾吉連等軍忠状写(碩田叢史)に「板西上庄内神焼」とみえ、同二年八月一五日に細川方に属する飯尾吉連らが同所の警固をしたことが注進されている。慶長二年(一五九七)の分限帳には「神宅神宮寺」とみえ、二三三石余が置塩領。同八年徳島藩領となる。西方の字神宮寺(じんぐうじ)は慶長頃は別村であったが、のち当村に合併したとされる(郡村誌)。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図には神宅村とは別に神宮寺村が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by