上板町(読み)かみいたちよう

日本歴史地名大系 「上板町」の解説

上板町
かみいたちよう

面積:三四・五一平方キロ

県北東部、板野郡西部にあり、吉野川北岸の平野部ほぼ中央に位置する。北は阿讃あさん山脈(讃岐山脈)を経て香川県大川おおかわ引田ひけた町、南は吉野川を隔てて名西みようざい石井いしい町、東は板野町・藍住あいずみ町、西は土成どなり町・吉野町。阿讃山脈から泉谷いずみだに川・大山谷おおやまだに川などが南へ流れ下り、吉野川北岸平野部で東流する旧吉野川支流宮川内谷みやごうちだに川に合流する。同山脈南麓を東西に四国縦貫自動車道が通り、その南を県道鳴門―池田いけだ線が通る。同道は昭和四七年(一九七二)に廃止された旧国鉄鍛冶屋原線の跡にできたものである。

西分にしぶん山崎やまさき古墳群、その北の神宅かんやけ山田やまだ古墳群Aの六世紀後半造立の古墳群があり、西方泉谷川ととびだに川の扇状地には六世紀後半から七世紀まで続けて築造された古墳群を主とする柿谷かきたに遺跡、その西、引野ひきのには弥生時代終末から古墳時代前期にかけての安楽寺谷あんらくじだに墳墓群がある。町域南部には上六条かみろくじよう・下六条、西部には七条しちじようの地名があり、これは条里制の名残と考えられる。律令制下では南部の現吉野川北岸部は名西郡、現宮川内谷川流域から北部阿讃山脈にかけては板野郡に属した。郡境はかつての吉野川流路であった可能性がある。高磯たかいそを「和名抄」記載の名西郡高足たかし郷の遺称地とする説があり、「延喜式」神名帳記載の板野郡小社「鹿江比売神社」を現在は葦稲葉あしいなば神社に合祀されている鹿江姫かえひめ神社に比定する説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上板町」の意味・わかりやすい解説

上板〔町〕
かみいた

徳島県北東部,讃岐山脈の南麓にある町。 1955年松島町大山村高志 (たかし) 村が合体して発足。南麓に広がる複合扇状地には,古くからサトウキビが栽培され,いまも「阿波和三盆」として和菓子用に京都に出荷を続けている。吉野川流域の低地は良質米の産地。畜産も盛んで,県立畜産試験場がある。中心地区の鍛冶屋原は旧撫養街道に沿う商業町。その北には名所松島の千本桜がある。天然記念物の乳保 (にゅうほ) 神社のイチョウ,北部の大山 (691m) に大山寺などもある。大山寺には重要文化財の銅経筒がある。安楽寺は四国八十八ヵ所の第6番札所。面積 34.58km2。人口 1万1384(2020)。

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