神尾城跡(読み)かみおじようあと

日本歴史地名大系 「神尾城跡」の解説

神尾城跡
かみおじようあと

[現在地名]三加和町大田黒 東川

小屋敷こやしき集落の北、比高約三〇メートル・標高五〇メートルの城平じようびらと称する独立山陵にあり、直下十町じつちよう川と和仁わに川が流れ南東部で合流する。大田黒おおたぐろ城とも称した。「一統志」に「大津山某守之」とあり、「国誌」は大津山氏代々の居城という。同書や「古城考」などには天正年間(一五七三―九二)の肥前龍造寺氏勢の来攻に際し、大津山資冬が当城に籠って防戦した様子を伝える。「古城考」によれば南北八〇間・高さ東西一〇間・曲輪六六〇間とあり、「国誌」には東西七四間・南北八〇間、「深二間ナカレ三十間ノ堀アリ、今ハ篠萱ナリ、曲輪六百六十間今ヤ大半切寄畑トナレリ」とある。

山頂部分はY字形の尾根となっており、この地形を利用した三郭から構成される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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