南関(読み)なんかん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南関」の意味・わかりやすい解説

南関(町)
なんかん

熊本県北部、玉名郡(たまなぐん)にある町。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)大原、賢木(さかき)、坂下、米富(よねどみ)の4村と合併。町名は「肥後北辺の固めを司(つかさど)る松風の関」の南に位置することに由来し、北東部の筑肥(ちくひ)山地、西端部の三池(みいけ)山地、南西端部の小岱(しょうだい)山地を除けば、全域阿蘇(あそ)溶結凝灰岩の関町丘陵とその開析された樹枝状の谷とからなる。奈良時代から筑肥両国の境界をなし、交通の要衝で、駅家(うまや)が置かれ、大水駅(おおむつえき)の名で知られた。それだけに開発も古く、谷あい、山地斜面に小さな水田が階段状に造成されていた。現在これらの棚田畑地に転換され、ミカン、クリ、キウイフルーツなどの果樹園が多いが、一部にはメロン、ハクサイなどの栽培もみられる。これらは、1975年福岡―南関間に九州自動車道が開通し、南関インターチェンジを介して物流機会に恵まれるようになってからのことである。また同インターチェンジの開設は、取付道路としての県道、さらに国道443号の整備も促し、これまで交通の幹線から離れていたために整備の遅れていた西南戦争大本営跡、関所跡、小岱(代)焼登窯(のぼりがま)跡、磨崖仏(まがいぶつ)、石橋などの名所旧跡にふたたび光をあてた。産業的には、金属加工のほかいくつかの工場の進出もみられるが、農業の基幹的役割は変わってはいない。面積68.92平方キロメートル、人口8979(2020)。

[山口守人]


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改訂新版 世界大百科事典 「南関」の意味・わかりやすい解説

南関[町] (なんかん)

熊本県北西端,玉名郡の町。人口1万0564(2010)。町域は筑肥山地に属する丘陵性山地によって占められ,南東部を菊池川支流の内田川が南東流し,北西部を関川が南流する。南西は荒尾・玉名両市,北西は福岡県大牟田市に接する。中心市街の関町は古くは大水(おおむつ)郷の地で,中世には松風の関または大津山の関とよばれる関所があった。江戸時代には肥後と筑後を結ぶ街道の宿場町として栄えた。明治以後は鉄道が町を離れて開通したために衰微した。現在は九州自動車道が通り,南関インターチェンジもできた。国道443号線も通じる。農業中心の町で,米作や野菜,ミカン,タバコの栽培,畜産などが行われ,特産品として手延べそうめんが知られる。西南戦争の官軍本営が置かれた正勝寺には官軍墓地などがある。南部は小岱山(しようだいさん)県立自然公園に属する。また1632年(寛永9)細川忠利の熊本入部に従ってきた上野(あがの)焼の陶工が始めた小代焼の窯跡が残り,現在も茶器,壺,植木鉢などの日用陶器を焼く。
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百科事典マイペディア 「南関」の意味・わかりやすい解説

南関[町]【なんかん】

熊本県北西部,筑肥(ちくひ)山地西部にある玉名郡の町。主集落は筑後から肥後に入る街道の旧宿場町。九州自動車道が通じる。山間の盆地でミカン,スイカ,野菜などを栽培。68.92km2。1万564人(2010)。

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