神殿庄(読み)こどののしよう

日本歴史地名大系 「神殿庄」の解説

神殿庄
こどののしよう

三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)添上郡(荘園目録)として同本文に

<資料は省略されています>

とある。これによると、神殿庄は興福寺大乗院領荘園である。面積三三町余のうち八町六反は名田で九名半からなっているが、別に春日楽田半名五反を合わせると一〇名となり、均等名荘園と考えられる。門跡公事のうちに「名別米二斗九升」等がみられる。一坪・二坪の注記は条里制・条坊制の坪ではないようである。間田は佃・諸給分・諸院分となっている。康正二年(一四五六)の神殿庄算田帳(長禄四年の写、内閣文庫蔵文書)では、間田は「奈良百姓分」八町三反半、「長井百姓分」一一町五反に佃二町、「散在百姓分」一町五反、計二三町三反半となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む