日本歴史地名大系 「神津佐村」の解説 神津佐村こんさむら 三重県:度会郡南勢町神津佐村[現在地名]南勢町神津佐神津佐川の下流域にある。西は五(ご)ヶ所(しよ)浦、東は英虞(あご)湾、南へは宿(しゆく)浦に至る街道が延びる。もとは上津長(かみつおさ)または上津瀬(かみつせ)などと記し、神津佐川の上流の瀬にあったところからその名が生れ、中世に神宮の御厨となるに及んで「上」が「神」に変化し、呼称もコンサとなったとする説がある。「建久三年皇太神宮年中行事」に「一、又三度御祭、並祈年及 公卿勅使臨時奉幣使六節会之時、任先例可進魚見(貝カ)之由、神領島嶋、従宮庁被成下文」とある件に「上津長ハ、同先々雖勤仕、従故浦田長官之時、成不輸公料、子良ノ薬料ヲ勤仕也」とみえる上津長は当地であろう。「神鳳鈔」の志摩国にも「上津長御厨」とみえる。慶長二年(一五九七)正月二六日の竈山地子南嶋六竈(竈方文書)の「廿五ケ所之地子むかし在々へ来候書付之事」に「平松山地子 神津佐へ参」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by