神田山村
かどやまむら
飯沼川・菅生沼の東のほぼ南北に長狭な台地に所在。北は幸田村。加戸山・一作門山とも称する。古代・中世には伊勢神宮領相馬御厨に含まれたと考えられ(→幸田村)、村名は神宮の「神田」に由来すると思われる。戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「神田山郷 廿貫文 ミねんく 八貫文 夫銭」とみえ、天正二年(一五七四)の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)には「かた山 千光院領」とあり、現古河市にあった千光院(のちの松月院)の支配地であった。天正一八年より守谷城主土岐(菅沼)定政の領地、寛永四年(一六二七)より同一九年まで天領、一九年に下総佐倉藩(堀田正盛)領、のち堀田正俊(のち古河藩主)領、寛文八年(一六六八)酒井忠挙(のち前橋藩主)領、天和元年(一六八一)より下総関宿藩領、元禄期(一六八八―一七〇四)以後に天領となる(猿島の歴史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 