朝日日本歴史人物事典 「神谷与平治」の解説
神谷与平治
生年:文政9.10.10(1826.11.9)
幕末明治期の報徳運動家,農事指導者。遠江国長上郡下石田村(浜松市)の生まれ。名は正信。与平治(7代)は世襲名。5代与平治の第5子、幼名力伝。誠翁と号した。二宮尊徳の報徳思想を遠州地方に伝えた安居院庄七から教えられた報徳思想と農業技術の普及に努め,自らも選種培養法,農用器具を開発し,『広益伝』を著した。明治20(1887)年,松島授三郎らが設立した三河・遠江地方の農事研究・普及機関である三遠農学社設立に加わった。<参考文献>八木繁樹『報徳運動100年のあゆみ』
(海野福寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報