神野々廃寺(読み)こののはいじ

日本歴史地名大系 「神野々廃寺」の解説

神野々廃寺
こののはいじ

[現在地名]橋本市神野々

紀ノ川右岸、標高八七メートル前後の段丘上にあった白鳳期の寺院。県指定史跡。「続風土記」に「三重塔廃趾」として記され、瓦の出土とともに寺院跡の存在が知られていた。現在、結晶片岩製の心礎石を据えた塔の位置のみが確定している。寺跡がある段丘東側は吉原よしはら川の深い谷に隔てられ、西側も発掘調査で浅い谷が確認され、条里の境界が塔跡のすぐ東側にくることなどから、塔が東にある法起寺式伽藍配置であったと推測されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む