神野々村(読み)こののむら

日本歴史地名大系 「神野々村」の解説

神野々村
こののむら

[現在地名]橋本市神野々

紀ノ川右岸の小高い丘陵地にあり、紀ノ川を隔てて南は学文路かむろ村。東西に大和街道が通り、東端を高野山詣の御幸道が通る。「続風土記」には加宇乃々かうのの訓注がある。

古く「紺野村」と称し(続風土記)、建長八年(一二五六)三月日付の尼宝蓮御影堂陀羅尼田寄進状(又続宝簡集)に金剛峯寺御庄之内河北方として「紺野村字森田」がみえ、高野山領官省符かんしようふ庄上方に含まれていた。応永三年(一三九六)五月日付の官省符上方惣田数分米目録・官省符上方惣畠数分麦目録(又続宝簡集)によれば、紺野村の田数一七町一反余、分米六九石余、畠数五町二反余、分麦八石余、在家一〇宇であった。

神野々村
こうののむら

[現在地名]窪川町数神かずこう 神野々

数家かずけ村の東、東又ひがしまた川流域に開けた平地の村。「仁井田郷談」(「南路志」所収)によれば、古くは仁井田にいだ新在家しんざいけ郷一二村の一。天正一七年(一五八九)の仁井田之郷地検帳に「神野村」とあり、「遠山之村」も神野村に含まれ、両村の地積六町八反余、ヤシキ四筆で、西原分・志和分・松沢分・佐竹分が混在

元禄地払帳では総地高一七五石余、うち本田高七一石余、新田高一〇三石余。本田高は蔵入地二斗三合を除いて渥美権内ら三人の知行、新田高は貢物地が二九石余で残りは深尾太良左衛門ら二人の役知と味元藤七郎ら三人の領知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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