禎瑞新田(読み)ていずいしんでん

日本歴史地名大系 「禎瑞新田」の解説

禎瑞新田
ていずいしんでん

[現在地名]西条市禎瑞

石鎚いしづち山脈に発して北流する加茂かも川と中山なかやま川の西河口に挟まれたひうち灘沿岸の干潟、東西一六町三二間、南北二五町二〇間を干拓して成立した新田村である。新田完成の年、八幡やわた地区から清冽な清水が湧出し、村民金泉とよび、「天より嘉瑞を降し給うなり」と喜んだ。これが村名の起りという。

しかし禎瑞という地名は藩内の私称として用いられ、公的には村名をよばなかったらしく、天保一三年(一八四二)の「西条誌」に「御巡見使等へハ西之手をば氷見村下分、東之手をば西泉村下分と申答へ禎瑞と云フ名号をば不申、新闢の事、いまだ公達に不及を以ての故なるべし」とある。明治四年(一八七一)廃藩置県後、西条県から大蔵省に宛てた上申書にも、「当県下氷見村下分、西泉村下分之儀は、元領之節安永年中松平頼謙よりかた貯蓄の手元金を以築立候新開にて」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報