日本歴史地名大系 「福江市」の解説 福江市ふくえし 面積:一五八・一二平方キロ五島列島の南部にある。市域は福江島(面積三二〇・八二平方キロ)の東部と北東の久賀(ひさか)島(同三八・三四五平方キロ)・椛(かば)島(同八・七六平方キロ)、東の多々良(たたら)島(同〇・七五二平方キロ)・蠑螺(さざえ)島(同一・〇五五平方キロ)、南東の赤(あか)島(同〇・五二平方キロ)・黄(おう)島(同一・四七平方キロ)・大板部(おおいたべ)島(同〇・〇七平方キロ)、さらに南西約八〇キロの男女(だんじよ)群島などからなる。福江島は西部を富江(とみえ)町・岐宿(きしく)町と接し、久賀島との間には田(た)ノ浦(うら)瀬戸があり、久賀島の北東は奈留(なる)瀬戸を挟んで奈留町と向き合う。福江島では北部に鷲(わし)ヶ岳(二一五・七メートル)・笹(ささ)嶽(三八九・五メートル)・唐(から)嶽(三六五・七メートル)、西部に翁頭(おうとう)山(四二九・三メートル)・高(たか)岳(三七九・三メートル)など、南東部に鬼(おに)岳(三一五メートル)・火(ひ)ノ岳(三一四・六メートル)などがあり、久賀島では鵜(う)岳・番屋(ばんや)岳・白(しろ)岳・福見(ふくみ)岳など、椛島には番岳・致彦(いたひこ)山などがある。福江島の南東部を流れる福江川は流路延長八・一キロ、流域面積二七・六平方キロ。この流域を除けば三ヵ島ともに海岸部まで山嶺や丘陵性台地が迫り、平坦地に乏しいが、戸岐(とぎ)湾・奥浦(おくうら)湾・福江港・白浜(しらはま)浦・久賀湾・田ノ浦・首(くび)ノ浦など大小の入江に恵まれる。国道三八四号のほか、主要地方道の福江―荒川(あらかわ)線・福江―玉之浦(たまのうら)線、県道の河務(こうむ)―福江線・大浜(おおはま)―福江線・福江空港線、久賀島には県道久賀島線、椛島に県道椛島線がある。〔原始・古代〕離島の縄文時代前期の大板部洞穴で轟式土器、江湖(えご)貝塚では最も古い段階の曾畑式土器が発見されている。大板部洞穴の水中貝塚で出土した土器は韓国ソウル市の岩寺洞遺跡の櫛目文土器と似た砲弾形の深鉢形土器で、朝鮮半島との交流も考えられる。白浜貝塚では鯨の肋骨を加工した鮑起しと推定される篦状道具や、鮫歯を用いて加工した牙鏃などがみられる。堂崎(どうざき)遺跡や江湖貝塚ではスガイ、クマノコガイ、オオコシダカガンガラ、サザエなど岩礁性の貝類が多い。縄文時代後期・晩期の中島(なかじま)遺跡ではドングリ貯蔵穴一一基が確認されている。白浜貝塚では鹿・猪などの獣骨が大量に出土、解体を行っていたことが知られるとともに、鹿骨を加工したヤスが発見され、また人骨も検出された。大浜遺跡では管玉・貝輪などとともに鉄剣が出ており、単甕棺が検出され、多数の獣骨とともに須恵器や施釉陶器、初期貿易陶磁器などが出土しているが、なかでも牛骨の出土は中世にも及ぶもので、「肥前国風土記」の牛馬に富むという記述との関連が想定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by