日本大百科全書(ニッポニカ) 「久賀島」の意味・わかりやすい解説
久賀島
ひさかじま
長崎県五島列島(ごとうれっとう)の南部に位置する島。面積37.35平方キロメートル。かつては久賀村をなしたが、1957年(昭和32)福江(ふくえ)市に編入され、2004年(平成16)市町村合併により五島市の一部となった。著しく沈降した島で、北から久賀湾が大きく侵入し、島はU字形をなし、湾奥に中心集落の久賀がある。湾の沿岸には干拓地が多く、水田が散在するが、島の外縁部は海食崖(がい)が発達し、耕地、集落ともに乏しい。島の北西岸の細石流(さざれ)付近では大型定置網漁業が行われ、田ノ浦(たのうら)は、前面の砂嘴(さし)に抱かれた良港で、古くは遣唐使の寄泊地ともいわれ、福江島の奥浦(おくのうら)港、福江港へフェリーが通ずる。また田ノ浦瀬戸ではタイ、イカの一本釣りが盛んである。島内の集落は、江戸時代に大村藩から移住したキリシタンの集落が多い。1868年(慶応4)キリシタン弾圧による「五島崩れ」があり、大開(おおびらき)付近の牢屋(ろうや)で残酷な責めにあったことにちなむ、「牢屋の窄(さこ)」とよばれるキリシタン史跡がある。1881年(明治14)ころの木造瓦葺(かわらぶき)建築の旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)は、国の重要文化財に指定されている。人口473(2009)。
[石井泰義]
〔世界遺産の登録〕久賀島の集落は、2018年(平成30)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[編集部 2018年9月19日]
『浦川和三郎著『五島キリシタン史』(1973・国書刊行会)』