福野潟
ふくのがた
神代川の南にあった低湿地帯。縄文時代中期には海水の入込んだ浅い入江であったが、砂丘の形成期に入って神代川河口付近の湾口を閉鎖、潟化が進んだとみられている。享保一一年(一七二六)の福井村孫十郎訴状(雄谷文書)に「此潟廻村々ハ、大念寺村・末吉村・福野村・大島村・館村・福井村・米浜村〆七ケ村ニ而御座候」とみえ、江戸中期頃に潟に面していた村々を記す。地形的には奥は上棚・矢駄付近にまで及んでいたとみられる。米浜北方には舟着場の地名が残り、大坂の南方で丸木舟が出土している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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