日本大百科全書(ニッポニカ) 「福野」の意味・わかりやすい解説
福野
ふくの
富山県西部、東礪波郡(ひがしとなみぐん)にあった旧町名(福野町(まち))。現在は南砺(なんと)市の北端を占める一地区。1889年(明治22)町制施行。1941年(昭和16)南野尻(みなみのじり)、広塚、野尻の3村、1954年(昭和29)東石黒村を編入。2004年(平成16)東礪波郡城端(じょうはな)町、井波(いなみ)町、平(たいら)村、上平(かみたいら)村、利賀(とが)村、井口(いのくち)村、西礪波郡福光(ふくみつ)町と合併、南砺市となる。旧町域は、小矢部川(おやべがわ)流域と庄川(しょうがわ)扇状地の一部を占め、JR城端線、国道471号が通じる。中央を東海北陸自動車道が通過するが、インターチェンジはない。中心の福野は礪波平野南西部の市場町として発達し、現在も12月27日の歳(とし)の市にその名残(なごり)がみられる。圃場(ほじょう)整備が完了し大型水田となった。三協立山アルミの工場のほか、機械、紡績などの中小工場がある。福野神明社の5月1日、2日の夜高(よたか)祭はけんか祭として知られる。真言宗の古刹(こさつ)安居(あんご)寺の木造聖観音立像、明治期の洋風建築である旧富山県立農学校本館(福野高校厳浄閣)は、国指定重要文化財。
[深井三郎]
『『福野町史』(1964・福野町)』▽『『福野町史』全3巻(1991・福野町)』