秋徳湊(読み)あきちゆみなと

日本歴史地名大系 「秋徳湊」の解説

秋徳湊
あきちゆみなと

[現在地名]徳之島町亀徳

秋徳村にあった湊。琉球渡海日々記(旧記雑録)によれば、慶長一四年(一六〇九)三月の島津氏の進攻に際して、副将の肝付兼篤や国分武頭の伊集院久元らの一行は三月二〇日に大島の西古見にしくみ(現瀬戸内町)から出帆、「とくの嶋の秋とくと申湊」に着いている。「徳之島前録帳」では二月下旬に「秋徳浜」に島津の軍勢が着船したという。正保琉球国絵図に「秋徳湊」とみえ、入一町、広さ一町、深さ五尋で、大船ならば三艘ほどをつなぐことができ、東風・南風の際には船の係留はならずと記されている。また井之川いのーまで海上一里半、沖永良部おきのえらぶ島の和泊わどまい(現和泊町)まで同一八里とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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