日本歴史地名大系 「秋徳村」の解説 秋徳村あきちゆむら 鹿児島県:大島郡徳之島町秋徳村[現在地名]徳之島町亀徳(かめとく)亀津(かむいじ)村の北に位置し、集落は入江に臨む。秋徳川が流れる。里(さと)・大兼久(おかねく)などの地名がある。琉球王国時代に島主大親役がシマ(村)の聖地サームトゥに居を構え、妻のノロと居住して政務を司ったと伝え、初代の世之主から二代西之主、三代東之主と続き、四代目の掟兄弟が代役を勤めていたとき、慶長一四年(一六〇九)三月の島津氏の進攻があったという(徳之島前録帳)。サームトゥの周辺にはティラ山(神山)、イビガナシ(礼拝所)、ミヤ(広場)、トネ屋敷などがある。 秋徳村あきちようむら 鹿児島県:大島郡瀬戸内町秋徳村[現在地名]瀬戸内町秋徳(あきとく)野見山(ぬみしやん)村の南西に位置し、集落は入江(諸鈍湾)に臨む。東(ひぎや)間切東方のうち。時代は不明だが、亀野子(かむのこ)村民がすべて当地に移住して島建てされたという。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、浜方に「かまいせ」などがみえる。「大島私考」には東方一二ヵ村のうちとして「秋徳村」とみえ、高七六石余、うち享保内検後の開地は七斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報