秋月種樹(読み)アキズキ タネタツ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「秋月種樹」の解説

秋月 種樹
アキズキ タネタツ


肩書
元老院議員,貴院議員(子爵)

別名
号=秋月 古香(アキズキ ココウ)

生年月日
天保4年10月17日(1833年)

出身地
日向国(宮崎県)

経歴
少年時代から秀才をうたわれ、文久2年昌平黌学問所奉行、3年若年寄格を兼務、将軍家茂の侍読、若年寄を歴任。明治元年参与、次いで明治天皇侍読、公議所議長、民部大丞、左院小議官。5年欧米旅行、のち元老院議官。その間第十五銀行設立に参画。勅選貴院議員。漢詩、書、南画をよくした。詩集「古香公詩鈔」などがある。

没年月日
明治37年10月17日

家族
父=秋月 種任(日向高鍋藩主) 兄=秋月 種殷(日向高鍋藩主)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「秋月種樹」の解説

秋月種樹

没年:明治37.10.17(1904)
生年:天保4.10.17(1833.11.28)
幕末の日向国(宮崎県)高鍋藩の世子。通称政太郎,叙任後は右京亮。藩主種任の3男として生まれ,江戸で塩谷宕陰に学んだ。30歳,部屋住の身で幕府学問所奉行となり,翌年の文久3(1863)年若年寄格を兼ねる。秋月家は2万7000石の外様大名であることから,異例の抜擢であった。同年,兄種殷の世子となる。元治1(1864)年職を辞す。慶応3(1867)年若年寄に任ぜられるも,幕府にすでに力なしとみる臣下の進言で出仕せず,半年で辞任。維新後の明治1(1868)年新政府参与,明治天皇の侍読(同3年まで),公議所議長,大学大監,左院少議官,元老院議官,貴族院議員などを歴任。書画をよくする文人でもあった。<参考文献>安田尚義『秋月種樹公小伝』

(岩下哲典)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秋月種樹」の解説

秋月種樹 あきづき-たねたつ

1833-1904 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)4年10月17日生まれ。秋月種任(たねただ)の3男。日向(ひゅうが)(宮崎県)高鍋(たかなべ)藩主の兄種殷(たねとみ)の世子となる。学問所奉行,将軍徳川家茂(いえもち)の侍読などを歴任。維新後は新政府の参与,明治天皇の侍読,公議所初代議長,元老院議官などをつとめ,明治27年貴族院議員。漢詩,書画をよくした。明治37年10月17日死去。72歳。通称は政太郎,右京亮。号は古香,松渓。漢詩集に「古香公詩鈔」。

秋月種樹 あきづき-たねき

あきづき-たねたつ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の秋月種樹の言及

【公議所】より

…政府からも各官より1名ずつ出席し,諸学校からも公議人が1名ずつ選出されたが,府県からは選出されなかった。議長は議政官下局議長であった秋月種樹。公議所は議政官下局およびその内部機関である貢士対策所の後身で1868年8月1日の貢士対策所の廃止,9月19日議政官の廃止と議事体裁取調所の設置が行われ,後者における審議をへて公議所の設置が決定された。…

※「秋月種樹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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