朝日日本歴史人物事典 「秋月種殷」の解説
秋月種殷
生年:文化14.6.9(1817.7.22)
幕末の日向(宮崎県)高鍋藩10代,最後の藩主。通称栄之助。父は先代種任,母は種任後妻四品中務大輔脇坂安董の娘雅子。30年におよぶ治世は,経済もさることながら,文治に重点が置かれ,武芸遊学の制,藩校明倫堂教授の定年制など,現実的政策を敷いた。弘化1(1844)年,明倫堂に医学館を,嘉永6(1853)年には明倫堂に寄宿舎切偲楼を設けて藩学の振興を,また領内各地に椎木御学を設け,教育の普及を図ったことで知られる。安政4(1857)年編纂の『東匪犯境聞見録』は海外事情への関心の高さを示すものである。明治2(1869)年版籍奉還後,高鍋知藩事となる。<参考文献>『高鍋藩史話』
(後藤重巳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報