日本歴史地名大系 「秋目浦」の解説 秋目浦あきめうら 鹿児島県:川辺郡坊津町秋目村秋目浦[現在地名]坊津町秋目秋目村にあった浦。寛政一二年(一八〇〇)書写の諸郷村附並浦附(県立図書館蔵)などに秋目浦とみえる。西の海上に蒲葵(びろう)島(枇榔島、沖秋目島ともいう)があり、南には今(いま)岳、および西へ延びる鶴喰(つるくい)崎があって大湾の秋目湾をなす。湾の北に湊(秋目湊)があり、東に天神(てんじん)崎(天神鼻)、西に素麺(そめん)崎(正面岬)が延び、周囲約七町余、深さは四尋しかないため風濤が高く、大船が安全に停泊することはできなかった(三国名勝図会)。浦人は清水(きよみず)川(現秋目川)を挟んで海岸の平地に居住した。かつては琉球・南島貿易とともに蝦夷(えぞ)方面との交易を行っており、宮内家には嘉永五年(一八五二)発刊の「蝦夷語箋」(現在は坊津町歴史民俗資料館に保管)があり、郷土玩具の車船は北方交易の千石船の型をうかがわせる。宮内家には唐物・琉球漆器のほか往来手形や書物入れなどがあり、現在は同資料館に保管されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by