日本大百科全書(ニッポニカ) 「琉球漆器」の意味・わかりやすい解説
琉球漆器
りゅうきゅうしっき
沖縄県首里(しゅり)市を中心とした琉球諸島で発達した漆器。古記録には「応永(おうえい)34年(1427)中国明(みん)の宣宗(せんそう)が琉球から生漆(きうるし)を購入」した旨の記述があるが、漆芸創始の経緯は明らかでない。琉球王朝時代の1612年(尚寧王24)には後述の貝摺奉行(かいずりぶぎょう)についての記録があるので、そのころには活発化していたとみるのが妥当であろう。ゆがみや狂いの少ない沖縄特産の木地を用い、デイゴは大盆に、シタマギは椀(わん)木地に使用する。下地には速乾性を利用した豚血(とんけつ)と、特産の粘土(クチャ)粉にボイル桐油(とうゆ)を混合したものを用いる。この桐油を混ぜることで上塗りの朱漆(しゅうるし)をより鮮明に発色させる効果がある。高温多湿な沖縄の風土は漆の乾燥に適し、本土では困難とされる油を混ぜた朱漆の乾燥も、ここでは容易である。
加飾法には堆錦(ついきん)、螺鈿(らでん)(青貝)、沈金(ちんきん)、箔絵(はくえ)、漆絵などがあるが、とくに堆錦に特色がある。まず漆に鉱物性の顔料を混ぜ、金槌(かなづち)で打ちながら練り合わせて堆錦餅(もち)をつくる。これに熱と圧力を加えて薄く圧延したのち文様を切り抜き、上塗りを終えた器面にそれを貼(は)る技法である。1715年(尚敬王3)首里の比嘉乗昌(ひがじょうしょう)が発明したもので、今日では琉球漆器の主流を占めている。また、琉球海床産の夜光貝を利用する螺鈿は螺殻(らかく)といい、古くから大陸や本土へ輸出され、首里王府内には貝摺奉行所を設置して螺鈿器を製造した。このように、琉球では螺鈿のことを貝摺または青貝といっていた。沈金は中国の鎗金(そうきん)が伝わったもので、江戸時代に朱塗沈金が盛行し、今日も本島の各地で多く行われている。
[郷家忠臣]
『荒川浩和・徳川義宣著『琉球漆器』(1978・日本経済新聞社)』