秋篠庄(読み)あきしののしよう

日本歴史地名大系 「秋篠庄」の解説

秋篠庄
あきしののしよう

宝亀一一年(七八〇)西大寺流記帳に「同郡秋篠山寺」とある。これによると、秋篠山寺(現秋篠町か)は西大寺の末寺であったと考えられる。その後、承平元年(九三一)の神護寺実録帳写(神護寺文書)に「秋篠庄大和国」とみえる。これには、現京都市右京区の神護じんご寺領秋篠庄がうかがえる。その所在は荘号によると現秋篠町に比定されるが、これは秋篠寺が神護寺の末寺になったことによるものであろう。秋篠庄はもと秋篠寺の寺領と推測される。同庄が神護寺領になったのは、長岡・平安遷都以後の西大寺の没落などによると考えられよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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