種市城跡(読み)たねいちじようあと

日本歴史地名大系 「種市城跡」の解説

種市城跡
たねいちじようあと

[現在地名]種市町 城内

城内じようないのほぼ中央部に位置。居館とみられる平城と山城の二館からなる。南部領諸城破却書上に「山城破、久慈孫三郎抱」とみえる。戦国時代、種市氏が居城したという。同氏は南部氏一族の光房なる者を祖とし、数代後の中務某が南部晴政から種市、蛇口へびぐち(現軽米町)などを給され、種市氏を称したのが始めと伝える(岩手県史)。工藤氏の一族ともいわれる。天正一九年(一五九一)九戸政実の乱に際し、種市中務光徳は南部信直にくみしたといい、同年と推定される五月二九日の南部信直書状(福岡川嶋文書)に「種一」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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