稲垂村(読み)いなたりむら

日本歴史地名大系 「稲垂村」の解説

稲垂村
いなたりむら

[現在地名]蒲生町稲垂

川合かわい村の北東布施ふせ山の南西麓に位置し、東部は山林耕地は西半に広がり、日野町と八幡町を結ぶ道が西端を通る。かつて集落南方平子ひらこのうち古里ふるさとにあったという。「言経卿記」によると慶長三年(一五九八)徳川家康の執奏によって勅勘を解かれた山科言経は翌四年、家康から近江に高二〇〇石の所領として当地を与えられている。同書同年三月二七日条に「稲垂郷政所兄弟・同百姓等来了、政所ヨリ二百文持来了」とみえ、政所より二〇〇文が届けられ、四月三日には植付の相談に当地百姓が同家を訪れている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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