稲垣平太郎(読み)イナガキ ヘイタロウ

20世紀日本人名事典 「稲垣平太郎」の解説

稲垣 平太郎
イナガキ ヘイタロウ

大正・昭和期の政治家,実業家 元・参院議員(国民民主党);元・通産相;元・横浜ゴム会長。



生年
明治21(1888)年7月4日

没年
昭和51(1976)年4月23日

出生地
岡山県岡山市

別名
雅号=禾堂

学歴〔年〕
慶応義塾大学理財科〔大正2年〕卒

経歴
古河合名、古河電気工業を経て、富士電機製造の創立参画、大正12年営業部長。昭和7年時事新報社常務となり、東洋化工、東京発動機、湘南電鉄取締役を歴任、戦後横浜護謨製造社長となった。22年第1回参議院選挙全国区に国民民主党から立ち当選、党総務会長を務めた。24年2月第3次吉田茂内閣の商工大臣、通産大臣となった。また母校慶応大の評議員理事監事を兼ね、日本貿易会会長、横浜ゴム会長、ニッポン放送会長、日本ゼオン会長なども務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「稲垣平太郎」の解説

稲垣 平太郎
イナガキ ヘイタロウ


肩書
元・参院議員(国民民主党),元・通産相,元・横浜ゴム会長

別名
雅号=禾堂

生年月日
明治21年7月4日

出生地
岡山県岡山市

学歴
慶応義塾大学理財科〔大正2年〕卒

経歴
古河合名、古河電気工業を経て富士電気製造に入り、大正12年営業部長。昭和7年時事新報社常務となり、東洋化工、東京発動機、湘南電鉄取締役を歴任、戦後横浜護謨製造社長となった。22年第1回参議院選挙全国区に国民民主党から立ち当選、党総務会長を務めた。24年2月第3次吉田茂内閣の商工大臣、通産大臣となった。また母校慶応大の評議員、理事、監事を兼ね、日本貿易会会長、横浜ゴム会長、ニッポン放送会長、日本ゼオン会長なども務めた。

没年月日
昭和51年4月23日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲垣平太郎」の解説

稲垣平太郎 いながき-へいたろう

1888-1976 大正-昭和時代経営者,政治家。
明治21年7月4日生まれ。古河合名にはいり,大正12年富士電機製造の設立に参画。時事新報社常務をへて昭和17年横浜護謨(ゴム)製造専務となり,のち社長。22年参議院議員(国民民主党)。24年第3次吉田内閣の商工相。昭和51年4月23日死去。87歳。岡山県出身。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「稲垣平太郎」の解説

稲垣 平太郎 (いながき へいたろう)

生年月日:1888年7月4日
大正時代;昭和時代の政治家;実業家。参議院議員;通産大臣
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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