国民民主党(読み)こくみんみんしゅとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

国民民主党
こくみんみんしゅとう

日本の政党。1950年4月28日,民主党野党派と国民協同党,新政治協議会が合同して発足した。1950年初め,吉田茂民主自由党が民主党連立派を吸収し自由党を発足させたのに対抗し,保守左派的政党として結成。最高委員長は苫米地義三,幹事長は千葉三郎,のち三木武夫。サンフランシスコ講和会議(→対日講和条約)参加をめぐり国民民主党党内は論議が沸騰,苫米地委員長は「講和条約には調印するが,日米安全保障条約には調印しない」条件で全権団の一員となった。講和後同党は,新政クラブ(立憲民政党系)の追放解除者を迎え,また農民協同党などを集め,1952年2月8日改進党を結成して解党した。(→自由民主党

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

国民民主党

民進党を存続させ、希望の党が解散したうえで一部が合流する「存続合併」の形をとる。民進、希望の議員から不参加表明が相次ぎ、県内では民進の斎藤嘉隆参院議員が7日に離党し、無所属になる方針。民進地方議員は自動的に国民民主の所属となるため、1~2日に県議市議計17人が離党届を出した。

(2018-05-06 朝日新聞 朝刊 名古屋・1地方)

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世界大百科事典 第2版の解説

こくみんみんしゅとう【国民民主党 Narodowa Demokracja】

19世紀末~20世紀初めにポーランドのナショナリズムを指導した政党。ふつうエンデツィアEndecjaと呼ばれる。一月蜂起(1863)の敗北とその後の厳しい弾圧に対する反省から,1870年代を風びしたポジティビズムも,80年代に入って蜂起後の世代が育ってくるとともに,その非政治的な姿勢が批判されるようになった。そのような風潮のなかで87年,Z.ミウコフスキら一月蜂起の生残りたちがスイスでポーランド連盟Liga Polskaを結成し,再び独立運動を再開するよう呼びかけた。

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知恵蔵miniの解説

国民民主党

日本の政党。2018年5月7日、前年の第48回衆議院議員総選挙を機に分裂した民進勢力の再結集を目指し、民進党と希望の党が合流して発足した。しかし、民進党では18年5月7日午前までに岡田克也元代表や野田佳彦前首相などが離党届を提出、希望の党では樽床伸二元総務相、大串博志衆議院議員などが無所属になると表明し、両党からの参加者は約6割の60人程度にとどまる見込みとなった。党首は同年9月の代表選で正式に選出するまで、暫定的に民進党の大塚耕平代表と希望の党の玉木雄一郎代表が共同代表を務めるとしている。

(2018-5-8)

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