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国民民主党 こくみんみんしゅとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

国民民主党
こくみんみんしゅとう

日本の政党。1950年4月28日,民主党野党派と国民協同党,新政治協議会が合同して発足した。1950年初め,吉田茂民主自由党が民主党連立派を吸収し自由党を発足させたのに対抗し,保守左派的政党として結成。最高委員長は苫米地義三,幹事長は千葉三郎,のち三木武夫。サンフランシスコ講和会議(→対日講和条約)参加をめぐり国民民主党党内は論議が沸騰,苫米地委員長は「講和条約には調印するが,日米安全保障条約には調印しない」条件で全権団の一員となった。講和後同党は,新政クラブ(立憲民政党系)の追放解除者を迎え,また農民協同党などを集め,1952年2月8日改進党を結成して解党した。(→自由民主党

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世界大百科事典 第2版の解説

こくみんみんしゅとう【国民民主党 Narodowa Demokracja】

19世紀末~20世紀初めにポーランドのナショナリズムを指導した政党。ふつうエンデツィアEndecjaと呼ばれる。一月蜂起(1863)の敗北とその後の厳しい弾圧に対する反省から,1870年代を風びしたポジティビズムも,80年代に入って蜂起後の世代が育ってくるとともに,その非政治的な姿勢が批判されるようになった。そのような風潮のなかで87年,Z.ミウコフスキら一月蜂起の生残りたちがスイスでポーランド連盟Liga Polskaを結成し,再び独立運動を再開するよう呼びかけた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

国民民主党
こくみんみんしゅとう

1950年(昭和25)4月28日、吉田茂内閣との連立に反対する民主党の野党派と、国民協同党、新政治協議会が合同して結成した保守政党。結党時の所属議員は衆・参あわせて110名、最高委員長苫米地義三(とまべちぎぞう)、幹事長千葉三郎。同党は社会連帯と協同主義を基調とする綱領を掲げ、吉田内閣と一線を画する立場をとっていたが、講和独立後の保守再編の機運のなかで1952年5月改進党に合流した。[吉田健二]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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