稲垣満次郎(読み)イナガキ マンジロウ

20世紀日本人名事典 「稲垣満次郎」の解説

稲垣 満次郎
イナガキ マンジロウ

明治期の外交官,南進論者



生年
文久1年9月26日(1861年)

没年
明治41(1908)年11月25日

出生地
肥前国平戸清水川(長崎県)

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔明治41年〕

経歴
明治10年17歳で長崎監獄に就職。のち上京して中村正直(敬宇)に入門、旧藩主松浦厚に随行して英国に渡り、ケンブリッジ大学留学。24年「東方策」を刊行日本の太平洋進出を唱えた南進論者として名をあげた。30年シャム公使館弁理公使、36年スペイン特命全権公使となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲垣満次郎」の解説

稲垣満次郎 いながき-まんじろう

1861-1908 明治時代の外交官。
文久元年9月26日生まれ。イギリスのケンブリッジ大に留学後,明治24年刊行の外交論「東方策」で好評をえる。30年シャム(タイ)の最初の弁理公使となる。のちスペイン公使をつとめ,明治41年11月25日同地で客死。48歳。肥前平戸(長崎県)出身本姓天野

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「稲垣満次郎」の解説

稲垣満次郎

没年:明治41.11.25(1908)
生年:文久1.9.26(1861.10.29)
明治期の外交官,南進論者。肥前国松浦郡平戸村(長崎県平戸市)出身。外交官としても活躍したが,著書『東方策』(1891)その他の言論活動により日本の太平洋進出を唱えた南進論者の先駆として著名

(村瀬信一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

367日誕生日大事典 「稲垣満次郎」の解説

稲垣 満次郎 (いながき まんじろう)

生年月日:1861年9月26日
明治時代の外交官
1908年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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