峯相記(読み)ほうそうき

日本歴史地名大系 「峯相記」の解説

峯相記
ほうそうき

一巻 著者不明

成立 一四世紀後半

原本 所在不明

写本 国立国会図書館静嘉堂文庫斑鳩寺(永正八年 慶紹写)

解説 「みねあいき」とも。貞和四年一〇月に播磨国峯相山鶏足寺に参詣した僧と、同寺に住する老僧との問答形式をとる播磨国の寺社縁起・田積・地名伝承などに関する史書。一三世紀後半から一四世紀前半における播磨国の社会・経済・思想状況を知ることのできる貴重な地誌である。

活字本続群書類従」二八上、「続史籍集覧」一、「大日本仏教全書」寺誌叢書一

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「峯相記」の意味・わかりやすい解説

峯相記(ほうそうき)
ほうそうき

「ぶしょうき」「みねあいき」ともいう。1巻。1348年(正平3・貞和4)10月18日、播磨(はりま)国峯相山鶏足(けいそく)寺(姫路市)に参詣(さんけい)した作者(不詳)が、日没のため困惑していたとき旧知の老僧に出会い、その宿坊において深夜まで問答した内容を記している。その内容は、華厳(けごん)宗など諸宗派の教義から書写山(しょしゃざん)など播磨国所々霊場の縁起、同国惣田(そうでん)数の推移(鎌倉時代には約1万7000町)、そして同国の古事、さらには悪党蜂起(ほうき)と幕府・守護方による討伐のことにまで及んでいる。播磨国の地誌として、また惣田数などは史料的にも有用である。なお、斑鳩(いかるが)寺(兵庫県揖保(いぼ)郡太子(たいし)町)が所蔵している1511年(永正8)に書写山別院定願寺において慶紹(けいしょう)が書写したものは現存最古の写本である。『続群書類従』釈家部、『続史籍集覧』第一冊、『大日本仏教全書』寺誌叢書(そうしょ)所収。

[岸田裕之]


峯相記(ぶしょうき)
ぶしょうき

峯相記


峯相記(みねあいき)
みねあいき

峯相記

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百科事典マイペディア 「峯相記」の意味・わかりやすい解説

峯相記【みねあいき】

鎌倉・南北朝時代の播磨国の地誌。〈ほうそうき〉〈ぶしょうき〉とも読む。作者は不明だが,1348年に播磨国の峯相山(ほうそうざん)鶏足(けいそく)寺(現兵庫県姫路市)に参詣した旅の僧が,同寺の僧から聞き書きをしたという形式で記述される。鎌倉・南北朝期の社会を知るうえで貴重な史料。なかでも,柿色の帷子(かたびら)を着て,笠を被り,面を覆い,飛礫(つぶて)など独特の武器を使用して奔放な活動をしたと描かれる播磨国の悪党についての記述は有名。兵庫県太子(たいし)町の斑鳩(いかるが)寺に,1511年に写された最古の写本が残る。
→関連項目福泊

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改訂新版 世界大百科事典 「峯相記」の意味・わかりやすい解説

峯相記 (みねあいき)

中世播磨の地誌。1巻。著者不詳。1348年(正平3・貞和4)ころ成立。〈ほうそうき〉〈ぶしょうき〉とも読む。播磨国峯相山鶏足寺の僧の作とおもわれる。歴史,民間信仰,伝承,説話など多様な内容を含み,鎌倉時代~南北朝時代の社会を知る上での重要な書である。兵庫県斑鳩(いかるが)寺に最古の写本(1511・永正8)がある。《続群書類従》などに所収。
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世界大百科事典(旧版)内の峯相記の言及

【峯相記】より

…中世播磨の地誌。1巻。著者不詳。1348年(正平3∥貞和4)ころ成立。〈ほうそうき〉〈ぶしょうき〉とも読む。播磨国峯相山鶏足寺の僧の作とおもわれる。歴史,民間信仰,伝承,説話など多様な内容を含み,鎌倉時代~南北朝時代の社会を知る上での重要な書である。兵庫県斑鳩(いかるが)寺に最古の写本(1511∥永正8)がある。《続群書類従》などに所収。【小田 雄三】…

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