稲数村(読み)いなかずむら

日本歴史地名大系 「稲数村」の解説

稲数村
いなかずむら

[現在地名]北野町稲数

筑後川の支流陣屋じんや川左岸、仁王丸におうまる村の北に位置し、池田いけだ川を挟んで北の赤司あかじ村に接する。当村の飛地が北方いま(現大刀洗町)境の通称沖田おきだのほか、赤司村の西部と東部にそれぞれ一ヵ所ずつあり、そこに条里制の遺称地名とみられるつぼはちなどがある。村西端にある蚊田かだ(加田)は「和名抄」に記す御井みい賀駄かだ郷の遺称地の可能性がある。同所に神功皇后の皇子分娩にまつわる伝説をもつ蚊田宮跡がある。村東部の飛地石町いしまちの水田中にある磐石は長者屋敷跡と伝え、その付近では土器類が多く発掘されたという(以上「大城村郷土読本」)当地に御井郡の稲置を置いたことから稲員いなかずの地名が生じたというが(「赤司八幡宮縁起由緒書」宮崎家蔵)中世の名田稲数に由来したものであろう。弘治二年(一五五六)秋月氏が返還を申し出た「稲数」の一〇町が富来彦三郎に与えられ(一一月一九日「大友義鎮知行預ケ状写」富来文書/小郡市史 第5巻(資料編))、翌年豊饒鑑述がこの「稲数之村」を打渡しているが、「言語道断之悪所」とある(二月一二日「豊饒鑑述書状」同文書/大分県史料一〇)


稲数村
いなかずむら

[現在地名]大刀洗町栄田さかえだ

筑後川支流の小石原こいしわら川下流に位置し、東は筑前国境で、西は本郷ほんごう(本郷枝村)に接する。弘治二年(一五五六)秋月氏が返還を申し出た「稲数」のうち一〇町が富来彦三郎に与えられているが(一一月一九日「大友義鎮知行預ケ状写」富来文書/大分県史料一〇)、この稲数は当地の可能性がある。翌三年二月一二日の稲数村田畠坪付注文案(同上)では稲数の田畠三町九反余が富来氏の被官姫島河内守に引渡されているが、これらは畠中はたなか名のうちで平次郎・次郎太郎が作職を有していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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