稲淵村(読み)いなぶちむら

日本歴史地名大系 「稲淵村」の解説

稲淵村
いなぶちむら

[現在地名]明日香村大字稲淵

かやもり村の北西、稲淵川(飛鳥川の上流)流域山村。現地ではナブチという。「日本書紀」用明・推古天皇条にみえる「南淵の坂田」の南淵みなぶちで、皇極天皇元年八月の条には「天皇、南淵河上に幸して、跪きて四方を拝む。天を仰ぎて祈ひたまふ。即ち雷なりて大雨ふる、遂に雨ふること五日。溥く天下を潤す」という雨乞の記事がある。同じく天武天皇五年五月条には「南淵山・細川山を禁めて、並に蒭薪くさかりきこること莫れ」とあり、山林保護のことを勅している。すなわち南淵は水淵みのぶちで、水源地を意味する地名であった。「大和志」には「稲淵溝」(淵)のあることを記す。

南淵山については、「万葉集古義」に「南淵と細川とは、地たがへるやうなれど、そのあたり、なべては南淵といふ総名負る地にて、其地の中に、わきて南淵山・細川山とてある故にいへるにやあらむ」とあり、大字冬野ふゆのから稲淵にわたる山地をいった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android